2010年04月20日

創造性と試行錯誤

 自由奔放に我が道を行く画家ピカソは、「美しい作品を創造しようとしても、五里霧中で苦闘しないとできないのでいつもギコチないものになってしまう。小綺麗に速く描くだけなら模倣者の方が遥かに上手い」、と語っています。天才ピカソにして然り!
 創造するにはまず考案どおりに試行してみて、失敗だと原因を見つけて工夫し直して再試行し、失敗するとまたやり直して、成功するまで試行と失敗を繰り返さねばならない。
 試行錯誤は創造に付きものだが、そうして失敗して道を模索する事で創造力がつくのだから、失敗も決して無駄ではなく役に立っているわけです。少年選手の練習でも試行錯誤は習得上達の為に必要なので向上心のある試行錯誤は認めてやるべきです。
 でも日本は外圧でないと変わらない国で、画一的で変化を嫌い創造性や才能に冷淡で育てる気がない。学校、社会、スポーツ界も試行錯誤の必要性に理解がないのが残念です。

[失敗経験が創造性向上に役立つ]
 昔の学生は虎の巻では力がつかないと言って使わなかったが、最近はそれどころが解答だけ暗記して自分で考えなくなったそうです。
 だがそうして得たものは裏打ちのない知識だけで身につき方が浅くて実際の物事にはあまり役に立ちません。それに対して、学業、職業を問わず自分で取り組み時間をかけて考え智恵を絞り試行錯誤を重ね苦労して得たものは、自ら体験体感して真に理解できた本物でしっかり自分のものになっているから、活用できて応用がききます。
 失敗は無い方がいいが、失敗は成功のもとというのも事実で、例えば無事に登山した経験は、次に山でピンチになった時役に立たない。道に迷ったとか遭難しかけた失敗体験があると役に立つ。それで経験豊富な登山家は晴天でも、この道は雨が降ると危ないとかここで迷いそうだなどと、起こりそうな危険や失敗をチェックして仮想演習をするそうです。
 実際、世間ではそんな事例が少なくない。そのため成功よりもむしろ失敗経験の方が役に立つと評価する風潮になって、最近は失敗学という学問まで開設されています。
 政治家や社長の地位を代々親から子へと受け継いでいく場合、先代を直接知っているニ代目はまだしも、三代目以後に駄目な人が出る事が少なくないのは、チヤホヤされて育って大人になってからも周りが庇う為にあまり失敗経験がなく苦労してないせいでしょう。

[生物の成長と試行錯誤]
 実は体験と試行錯誤は生物の成長や生活に不可欠なのです。探求反射、原創造性といって、ヒヨコは何でもつついてみて食物とそうでないものを体験で覚えていく。赤ん坊が何度も立ち上がろうと繰り返すのは、立ち上がる動作が出来る神経の配線を見つけてその神経回路を完成させる為です。最近の子供は幼児期に以前ほど遊ばないので上手な転び方、よけ方を知らないから簡単に怪我する。転ぶ体験と試行錯誤の不足で、その為の神経回路が未完成か、不完全か、作られても熟練してないのです。

[神経回路と教師なし学習]
 脳には無数の神経細胞があり細長い糸状の突起を出して次の神経細胞や突起に接続して電話線網のような神経回路網が張りめぐらされていて、人が何かしようとすると必ずその為の神経回路が活動して目的行動ができる。記憶、感情、思考などもそれぞれの神経回路が働いて感情や思考が起こるのです。
 神経生理学での学習とは脳に問題解決の為の神経回路ができて、次に回路内の神経細胞や突起の結合部(シナプス)が頑丈になり信号が通り易く機能が良くなる過程の事です。
 学習には二種類あって、一つは普通の(教師あり)学習で、答えを教えて順序よく回路を作らせて、うまく答えを出せるかどうかチェックして殆ど苦労しないで回路が完成する。
 もう一つは、教わらなくてもその人なりのやり方で考えて問題の答えを出す教師なし学習や探求反射、体験学習、遊びなどです。神経細胞は自ら選択して他の神経細胞と接続したり止めたりして自発的に神経回路を作れるので、教師なし学習では当人が試行錯誤し、神経細胞も同時にそのとおりに接続したり止めたり他へ移ったりして回路作りで試行錯誤して、目的を達成できる神経回路を作っていく。完成に要る経験回数は一回から数百回で完成不能もあります。サッカーでの創造性、感覚、プレーのコツなどは他人が教えられないもので、自分自身で努力して体得するしかなく教師なし学習で処理されています。

[創造性を発動させるには]
 創意工夫が必要なのに発想できない場合はどうするか?
☆ 皆が信じている事を先ず疑う。そして創造力がどのくらいあるかだ。(利根川進)
☆ 功を焦らず事実を丹念に追っていると新しい事に巡り会うものだ。(長野泰一)
☆ 関心のある異分野の知識や経験が多いと新しい発想が生まれる。(糸川英夫)
☆ 何でもいい。やってみろ!と言われると自由すぎて困る事がある(不良設定問題)。ポイントを絞って、君はこれをやれ!と拘束条件をつけると行動し易い。(清水博)
☆ 方向を決め方法は任せると身につく。創造性の世界は本音の世界だ。(山内昭夫)

[白紙で観察しないと判断を誤る!]
 創造する場合、常識や既成概念、情報、先入観などを全部捨てて、白紙で自分の眼でしっかり見て感じて頭脳を働かせないといけない。
 例えば前評判の良い映画を期待して見たら駄目でがっかりする事がある。本当は良い映画でもそうして先入観ができて見た為に、実物に接した時の印象や感情などが本来受ける筈のものと違うものになってしまったからで、何も知らずに白紙で見ればよかったのです。受け取り方に問題があるケースもある。好き嫌いのような感情で差別したり、心労や不快を避けたい為に楽観したり、時には勝利の意欲さえ感覚や思考判断を曇らせ狂わせる事があります。感情的な人、頑固な人は一度判断すると白紙で見直すことができません。

 思考が思い込みになってしまうと、訂正変更が難しいので判断処理が狂う事が多い。
 例えば試験で出来た答案を何回見直しても大丈夫だったので提出したが、採点されて返ってきたのをみると、こんな間違いにどうして気づかなかったのか!と呆れる事があります。
それは緊張していたからではなくて、答案が完成した時に脳の中にその答えを出した思考回路ができている為に、検算以外はいくら冷静に何回見直しても、結局、思考がその回路を通ってしまって同じ答えに行き着くものだから、ミスがわからなかったのです。
答案が返ってきた時、一目でミスがわかったのは、何日も経っていてその思考回路が解けてなくなっていたので、白紙で答案を見られたからです。だから計画、意見、文書などが出来上がったらすぐ発表しないで少し冷却期間をおいて見直すのが良いでしょう。

☆ 素直な心になったら全ての本質がわかる。人は皆とらわれて失敗する。松下幸之助
☆ ものを見る時は知識を忘れて全てを捨ててかからねばならない。白洲正子
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2010年03月18日

独自性、多様性を認めよう!

[諸君はこれ迄受動的で来たが、社会へ出たら能動的に変わらねばならない!小柴昌俊]
 以前から、欧米の大学は学生が社会に出る準備をする所で卒業すると社会ですぐ役に立つが、日本はそうではないと言われてきました。出る問題に答えさえすればよかった学校と違って、職場は甘くない。何事も自ら直面してどうとらえて処理するか考え判断して答えを出し実行しないといけない。だが何しろ小学生からずっと教わって覚える寺子屋風の教育で受け身体質になっているから大変で困ってしまう。いずれ慣れるけれども外国とは差が残ります。是非(少年サッカー教育も含めて)幼少から自立自発を図り創造性を育てコミュニケーション(人間関係、意思伝達、他者尊重など)を教育するべきです。

[常に頭脳を働かせよう!]
 人は物事に疑問を持ちその問題を解決し目標を達成する為に智恵を絞って考え創意工夫する。目的、目標がないと創造性は働きません。従って上司や指導者が触れなかった事で不都合が起きたり潜在していそうな場合は、自分で先ず疑問を持ち問題点を見つけなければならない。そこで課題設定能力が必要になります。
 サッカーは試合中、指導者が一々指示できないので、例えば、うまくいかない時、選手に課題設定能力があると、指摘されなくても自分で気づいて創造力や技能次第で改良打開できる。だが無ければ気がつかない。あると無いでは大違いだからこの能力は大切です。
 要は常に頭脳を働かせることです。試合中、ただ何となくプレーしていると、急に思い立って何とかしようとしても頭脳が働かない。初めから頭脳を働かせていろんな場合やプレーを考えておかないと、臨機応変の対応は出来ないものなのです。
 でも何の関係もない時に突然ヒントや名案が浮かんだり、試合中、直感的にアイディアが閃いたり、思わず独創的プレーをしてしまう事もあるではないか!それはどうなのか?というと、やはり無意識に脳が働いているからそういう事が起きるわけで、普段から試合やプレーについて考え研究してないと試合中に閃きは起こらない、とペレは言っています。

[自分流に考えて追体験、再創造]
 知識があるのは良い事だが、実際に活用し応用できないと価値がない。司馬遼太郎作の「坂の上の雲」の中で名戦術家、マハンは、「知識を分解し編成し直して自分なりの原理原則を打ち立てよ!自分の立てたものだけが応用がきく」と言った。知っているだけでは役に立たない。研究し納得し消化して自分で考え出したくらいにしっかり自分のものになってないと実戦で活用応用できないと言うのです。
 画家が名画を模写するのは真似ではない。追体験して手法や秘密を探求し創造の糧にする為です。音楽で楽譜を見て演奏する場合は技術や個性の勝負と思われがちだが、20世紀最高の芸術家カザルスは、「譜面の忠実な再現だけではいけない。芸術は自己表現だ。楽譜は覚えたら忘れよ!そして自分自身の個性と情感によって再創造せよ!」と語りました。
 サッカー選手もたとえ指導者の指示どおりでもロボット的に行動してはいけません。指示をわきまえた上で、刻々変わる状況の中で自らの感覚、判断にもとずいて考え工夫してベストと思えるプレーをするのが正しい行動です。それが指示と違う事もあり得ます。

[正解は一つとは限らない!]
 日本の画一的教育と絶えず同調同質化に向かう社会の流れや国民性は独自性、多様性を嫌い創造性育成に対する障害になっています。質疑応答には次の3種類があって、各国それぞれ考え方、答え方に違いがあります。
 1.クローズド・クエスチョン(答えはイエスとノーだけ、○×問題)
 2.ニュートラル・クエスチョン(答えは一つしかない)
 3.オ−プン・クエスチョン(いろんな答えがある、正解は複数)
 日本は何事も必ず一つの答えや結論に行き着くとする収斂性理論の国で、画一的教育だから問題も全て正解が一つしかないニュートラルQです。従って複数の正解がある多様性理論やオープンQに関しては、教師も大学生はともかく高校生以下には教えにくい。
 最近いろんな試験で採点合否を判定し易い○×問題が増えて、幾つも正解があると特定の一つだけを正解と決めて採点するという。現実や真理と違うのだからひどいものです。

☆ 日本人は原理ではなく便利でやって来たので、国は繁栄したが中心は空虚だ。だから形式、力、シンボルに頼る。 李御寧

[学校で習うのは英語、私が知っているのはイングリッシュ!中津遼子]
 作家、曾野綾子によると、イングランドの英国人の学校で優秀だった女子が帰国して内地の高校で編入試験を受けたら、事もあろうに英語のテストに失敗して落ちてしまった。
 というのはテストは○×問題で彼女は生まれて初めてだった。しかもその英文が英国で暮らした彼女から見ると、良いとは言えないが間違いとも言えないとか、あまりそんな言い方はしないが、そう言えないこともない、といった正否を決めにくいものだったからです。
 ○×問題は落とす為に、まともに考えると迷うように作られているので、学力よりも要領よく捌く受験技術が要るのだが英国に○×はない。答えの正誤より問題を解くプロセスや考える事自体が大切だという、いかにも英国らしい教育を受けた彼女は、真面目に考えて悩んだあげくどうしても結論が出せなくて、正直に半分白紙で提出して落とされたのです。
 英語教育も初めは英国人のイングリッシュだったが、次第に国産の学校英語に変わり、特に受験問題は英国人でも正解できないのがあるそうです。サッカーはどうでしょう?

[選手の自由裁量、多様性を認めよう!]
 試合中、選手の意思で行動できる自由度は指導者次第でさまざまだが、上手くいけば指示に反しても大体黙認されているようです。
 日本海々戦の天才、秋山参謀は海軍大学で戦術を教えた時、「皆それぞれ自分の戦術を編み出せ!戦術は借り物ではいざという時応用が効かない」と言って、テストで学生の解答が自分のと違っていても悪い点はつけなかった。是非そうあるべきです。
 チームは一致団結が大切で選手が皆同じだと綺麗にまとまるが、やり方が相手にわかり易いので上手く防がれたり、困った時に誰も打開できないケースも起こり得ます。だから試合では個性的なアイディアやプレーも必要で、チームにいろんなタイプの選手がいる方がよいのです。同質、画一化が日本人好みだが、もっと選手の自由裁量に任せて多様性を認め、選手たちの個性や創造力、才能などを自在に発揮させ伸ばしてやって下さい。

☆ 同じ者の団結は足し算。違う者の団結は掛け算になり大きな力になる。西堀栄三郎
☆ 誰もが同じ動きでは日本人の得意な団体行動であって、チームプレーではない。ゲームの流れの中で予定していたのと異なる動きをするのがチームプレーだ。玉木正之
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2010年02月27日

創造性に自由を!天才とは?

[知識だけでなく創造性育成を!]
 近年、米国の軍事経済の失敗と途上国、資源国の台頭で世界の秩序や経済が変わって、世界第二の経済大国日本も国力が低下し経済回復と政治外交の適切な対応が急務になったが、日本は政治外交が弱い。行政変革も苦手で今更ながら政治家三流と言われる国家中枢の能力不足が痛感され、国の将来を担う人材養成と不足しているコミュニケーション能力や創造力を育成する教育が要望されています。
 専門家は創造性を育て伸ばす技術や教育はまだ無いと言います。だがそれは発明発見家養成のような狭義の厳密な創造性の話で、欧州には既にスタイナー学校のように高い知性、豊かな感性、日常的な智恵や創意工夫といった広義の創造性をはぐくむ優れた全人教育があり、欧米サッカー界では以前から創造性が要求され批評の対象になっています。
 日本スポーツ界では伝統や文化の違いもあり創造性はいまだに縁遠く異質の感があるが、以前から私はサッカー教育に疑問がありたまたま頼まれて1969年から始めた少年サッカー育成で、教え込みでなく独自に少年たちが自ら考え工夫して自得向上できるように練習法を案出指導したところ、彼らは面白さから熱中し従来と違う選手に育って好成績をあげ大成功で、それがこれ迄日本で類のなかった一種の創造性教育であった事がわかりました。

[創造性に必要なもの]
1.疑問、好奇心、創造力、探求心、智恵、思考力
2.自由(他との関係においても、自分自身の内面においても)
3.自立自発自得、試行錯誤と経験、教師なし学習、体験学習

[創造性教育は全人教育]
 日本の学校では学生生徒は知識方法を教わり記憶して利用し、暗記力が優れているほど成績がよい。サッカー教育も同様で教えどおりにプレーし命令を忠実に実行すると褒められるが、創造性教育ではそうして受け身で近道を教わるのでなく、自分から取り組み考え創意工夫し苦労して会得して進むように図り指導します。
 英才教育と違ってこの教育での創造性は発明発見でなくてもよいし、専門、日常を問わず、真似、模倣でなく自分自身で考え創意工夫したのであれば独自でなくても構わない。広義の創造性で、智恵、思考をはじめ、観察、表現、感性などいろんな頭脳の働きが含まれ関係していて、先ず頭脳を働かせる習慣をつける事が大切です。
 例えば、優れた発明家、研究者、芸術家でも出発点は幼い頃の子供らしい疑問、想像力や工夫にあるので大切に伸ばしてやる。一般人でも仕事や生活で創造性を働かせて考案工夫すれば、誰でも個性的な生き甲斐のある人生を過ごせて楽しい。
 だから創造性教育は一種の全人教育(知情意が一つに偏らず完全に調和した円満な人格者を目指して、知識技術に偏しないで人間性を全面的調和的に発達させる教育)なのです。

[創造性に自由を!]
 デザイナー森英恵によると、欧州ではアイディアだけでなく作品にしないと創造した事にならないので、表現実行力、技術と場所、機会が必要です。
 創造性は制約制限されると活動しにくくて大木には育たない。命令、干渉、管理、制度、規制、常識、慣習などもマイナスに働くことがあり、そのスケールの大きなものが国家や時代などで、独裁国家では創造的活動は禁止され、政権が衰えて乱世になると、幕末の勤皇の志士のように独創行動力の強い者が水を得た魚のように生き生きと活躍できる。
 つまり創造性が活動するには、あらゆる意味で自由が必要不可欠で、人が酸素なしには生きられないように、創造性にとって自由は人における酸素のようなものなのです。 

[創造性抑制と創造性解放能力]
 人はむやみに本能的感情的行動に走らないように自制するが、それだけでなく無意識に自制が働く仕組みも備わっています。
 創造性発動にも抑制があり、それから解放されないと活動できない。この解放力が創造性では問題で、感情的行動に対する自制力の強さは個人差が大きいが、創造性解放力の差はそれ以上で、創造性の優れた人と劣る人を比べると、創造性そのものの差はせいぜい10倍に過ぎないが、創造性解放力には1000倍以上の差があるというから驚きます。天才の天才たる所以(ゆえん)は優れた創造性と並外れた創造性解放能力にあるわけです。

[そもそも健全な天才というものが存在するのだろうか?ゴードフリード・ベン]
 創造性と解放力の関係からいろんな事が説明できます。例えば、常識、慣習、上司、規則、世間体は大体創造性を抑制するので、それを気にする平穏を好む人は創意工夫できない。頑固な石頭やワンマンは物事を公平に見ないので他人の良さや創造性を認めません。
 天才は逆に常識、慣習に無頓着で奇人変人も珍しくない。発明家や芸術家は天才肌が多い。そのくらい創造性が解放されて自由だからこそ天才なわけだが、その分、世間から疎外されやすいので、活躍できるか否かは環境や時代に左右される。例えば坂本龍馬は動乱の幕末だから後世に名を残したが、平時なら変わり者の郷士で終わったかも知れません。

[天才と教育]
 天才佐々木を私が熱心に教えて育てたという記事は誤りで、殆ど教えてないのです。というのは小学生の試合で初めて彼に指示したらそれが気になってプレー出来なくなったからです。それでこの子に指示するとダメになると気づいて、それからは言葉で教える代わりにサッカー的に利口になり上手くなるような練習法を考案しました。
 でも特訓ではなくて、彼にパスを覚えさせる為にツータッチや3人以上抜いたら反則とか、ラストパスからのシュート得点しか認めないといったルールでゲームをしたが、他の選手の為にもなるので、すべて皆と一緒に練習しました。
 普通、叱って直そうとするが、叱ると選手は叱られないようにしないといけないと思いながらプレーするので、よほど気が強いか鈍でないと上手くプレー出来ない。ルールだとそういう事無しに集中できて、やる気になり自由に考え工夫するので力がつき精神面も成長する。お陰で自由にプレーし自分で上達して天才と謳われるようになりました。
 特異な才能は自由にプレーさせないと、それがある事さえわからない。充分発揮しないと伸びません。うちではそれが出来た。ずっとうちでやればもっと上手くなったでしょう。
 彼のような天才タイプは全国に何人もいる筈だが指導者次第で運命が決る。教育は底辺を上げ多数の凡人を向上さえるが、天才を凡人に変える恐れがあり、日本ではサッカーの天才は大成しません。指導者が欲しいのは自分の方針に合う選手で、合わないと天才でも要らない。変わっているから天才なのにその為に疎外したり皆と同化させるので天才でなくなってしまう。天才に限らず誰でもプレーは乗りが大事で、創意工夫はやる気充分でないと出来ません!のびのび育てて持てる能力を存分に発揮させ共存共栄を図りましょう!
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