2010年08月20日

1対1はサッカーの原点

[技術、戦術、体力の乖離]
 以前、小学生のサッカー教育は中学生と同じだった。子供は無知で自由だと悪い癖がつくと言われたりして、熱心な指導者ほど早く正しい事を教えて理想とする大人のサッカーを命令的に仕込んだ。高校生になって絶対服従が難しくなると、大人になるのだから自分で考えてやれ、と理解も示したが、幼少から教えどおりにして来てなまじ自分で考えてやると、勝手な事をするな!と叱られた選手たちは、急に言われても指示には従わないといけないし戸惑って、結局、厳しい指導が続いた。
 いまだに階級制でレギュラーと上級生だけ戦術戦法を教えて下級生にはまだ早いと言って教えないとか、一年生は体力強化だけでボールを扱う練習なしのところさえ珍しくない。
 連日、長距離走で鍛えて長時間練習したが、敵なしの基本練習が主で、柔道で投げの型の稽古だけで試合に出るようなもので実戦のプレートは違いがあり、試合では苦労が実らなかった。試合ではトラップ、キック、など技術だけという事はない。敵をかわす為とか、パスする、得点するといった戦術的判断で技術を使うのだが、選手は何よりも先ずチームの戦法、指示に従って行動するので、それ以外に戦術的判断工夫をするのはよほど止むを得ぬ場合に限られた。戦術教育も教えて叱って命令するだけで敵ありの攻守練習やゲームはなかった。戦術を考案する事を智恵を働かせるのでなく知識を使う事と考えていたのだ。
 そんな教育の為に日本選手のプレーは型通りで教育臭が強くぎこちなくて、技術の頂点は20歳過ぎの体力の頂点から何年も遅れ、戦術力はさらに遅く体力が落ちた30歳以後になり、ゲーム育ちの欧米選手にかなり遅れた。各頂点はもっと早く一致すべきなのである。

[自作自演、全習]
 その点、欧米選手は自我、個性、自己主張が強く、日本のように分習に凝らないで、幼少からずっと試合でも練習でもゲームの中で自ら考え判断工夫してやりたいようにプレーして、体験から必要な事をまるごと身体で覚えて実戦的スキルと実力をつけてきたので、普通20歳で技能など全て一人前で自立している。
 本来、サッカーの試合は指示を受けた選手たちが自作自演で進めるものだから、彼らのように少年時代にどんどん挑戦し大いに経験を積んで向上していけば良いのだ。しかし日本は何でも教え指示してそのとおりにしないと叱られる。でも試合はそうはいかない。
 選手が敵と戦うとき、反射的、直感的に頭脳と身につけたもので自然に身体が反応して動くか、瞬時に頭脳が働いて即応的にプレーしないといけない事が多い。これは教えられないので、欧米のように幼少から遊びや試合はむろんのこと、敵ありのゲームや実戦的練習で全習し現場で戦いを体験して身体で覚えて力をつけていくしかないのである。

[パス重視と1対1軽視]
 日本式正しい教育で小学生に、ドリブルするな!1:1より2:1だ!ダイレクトパスだ!と教えると連戦連勝できる。だが小さい頃カモにされた相手は成長するにつれて守備力が強くなり、単純なパス攻撃を防げるようになって1対1の場面が増えてくるから、ずっとパスだけで来た選手は1対1が弱いので困る事になる。
 少年チームをパスで勝たせる指導は目先の試合や大会の勝利という近い目標を達成できる。しかしずっと続いてきたドリブルや1対1の軽視は、日本選手のそれらの弱点を強化し個人技の優れた大人に育てるという遠い目標達成を不可能にしてきた。それだけでなく、次に述べるようにパスサッカーそのものの向上まで阻んできたのである。

[先ずドリブル、1対1を!]
 1対1は軽視されているが、個人の全能力や実戦感覚、サッカーの頭脳が使われ、パスなどあらゆるプレーに関係があり、ボールを確保できれば試合の主導権を握れる。だから将来の為にドリブルと1対1の練習をもっと重視して、大人になって練習しても上達しないので、幼少からいろんな形でずっと続けねばならない。
 パスは少し大きくなった方が視野が広がり感覚、判断、キック、走力などが良くなるので、長いパスは小五以後でもよい。従って年少の間に先ずドリブル、1対1を練習して上手くなるべきで、パスは短いパスを正確さと判断、感覚を重視して練習するのがよい。ドリブルがパスか、の判断はミニゲームなどを続けていくと自然にできるようになる。

[1対1はサッカーの原点]
 欧州では今の教育された選手よりも昔のストリートサッカー出の方が面白いプレーをした、天才的な選手がいた、と言われている。遊びで子供たちは抜き合い、点の入れ合いに熱中し智恵を働かせて自然に自分で必要なものを身体で覚える。教育による画一化がなく、個性的、独創的に上達して自由に才能を発揮して実戦力をつけていく。ジダンやロナウド、メッシたちのように、それが大人になってものを言う。
 日本人の盲点はこの遊びのサッカーの価値や必要性を知らないことだ。器用な日本人が欧米人より下手なのは子供の遊びのサッカーが無いのと、指導者がボールを持たせないからで、自由にボールを持たせて、怒らないで見守ってやれば、必ず皆上手くなる。
 それに肝心のパスが下手で困る。早く速くと焦るのと、1対1に弱いので少し妨害されるとパスの正確なやり取りができなくなるのだ。強いと落ち着いて見て、無理ならキープして他を探し、状況判断して的確にパスを送れる。味方も次々にコースを作り上手く受けられるので、競り合い当たられても突破、シュートの可能性がある。この差は大きい。
 パス本位の大人の試合でも相手守備が強いほど優れた1:1などの個人技が絶対必要になる。難しいけれどそこで自信があれば意欲と勇気が湧き、余裕ができて成功率が高まる。
 例えば辛うじてシュートしたのでは通常得点できない。難しい状況で得点できたときは、シュートの瞬間、0.5秒あるか無いか、ほんの僅かだが余裕があったときだ。夢中でからだが動いたのだろうが、潜在意識に自信があるので慌てないで一瞬狙い定めたり、無意識にキックやボールタッチの微調整や相手に当てない工夫などが出来たのではないかと思う。
 日本選手に少ないこのスキルや対敵能力から来る実戦的自信と余裕が是非欲しい!得にシュート、得点の自信だが、まず何でもいい。上手くなって、この形になればいける、負けない、という得意なプレーを身につけて、試合で自信をもってプレーをして欲しい。それが出来たら余裕が生まれて頭脳が働き成功して、されに向上できる。

◎今回、W杯のスペインの変幻自在のプレーで、上記したように1:1やドリブルなど見事な個人技と自信、余裕が素晴らしいパスワークのもとになって、優れた個人の視野、判断、センス、駆け引き、動きなど、サッカー智能がそれを作り出す事がよくわかった。
 あのように選手たちが臨機応変に呼吸を合わせて自由に作り出すサッカーは、指揮してやらせる日本の指導者の発想にはない。選手もシンプルで頑張りズムのドイツサッカーの方が親近感がある。優秀な選手が2、3人では無理、6人以上必要だから、従来の教えてその通りにさせる将棋の駒教育ではできない。幼少からゲーム多用、自由度の高い放牧的サッカーの場と、すべて自分でやっていく自立自発創造性教育が必要になる。

posted by HFC at 10:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記