2010年06月19日

創造する楽しさ

 私が生まれた神戸は戦前のサッカーどころで、8歳から校庭、空き地は無論のこと、うちの前の坂道でもストリートサッカーに熱中した。六年生の頃には自分がサッカー向きのような気がして公式のサッカーボールを買って貰った。今と違って学校中で私一人だったが何しろ何しろ運動靴にすぐ穴があいてしまう。戦争中で物資不足の為に何か物をあげないと修繕してくれないので母は随分困ったに違いない。でもサッカーをやめろとは言わなかった。

[創造的プレーのすすめ]
 スコットランド・リーグでMVPになった中村俊輔は創造性豊かなフリーキックやドリブルの名手で先日出版した「夢をかなえるサッカーノート」が好評だ。近頃流行の何とかノートという題名の元祖は戦前の名著、哲学ノート(三木清著)で、1972年に私が出した日本で最初のサッカーノート上下巻がその次という事になる。38年前で俊輔君はまだ生まれてなかったのだから今昔の感がある。
 創造的プレーには日頃考えたものと、試合中に思いつくのとあって直感的に閃くこともある。相手の裏をかき意表をつくには鋭敏な感知力と機智、気転、それに相手を騙したりごまかしたりするずるさ、ブラジル人の言うマリーシャも必要だ。
 私は子供の頃から相手の意表をつくプレーが好きだった。意外性や創造的プレーは興味のない選手はしない。するのは遊び心というか、そういうプレーが好きとか面白がる選手で、遊びからサッカーが生まれた本場の欧米では盛んで喜ばれる。だが日本は遊び禁忌の学校教育と社会体育系のサッカー界だから枠外というか関心も要求も無い。
 選手もその種のプレーを知らないので、折角意外なパスなどやっても味方が受けてくれなかったりして、逆に、生意気とか変な事するなと怒られたり反感を買ったりした。
 意外性とか創造性と言っても実際は自由な思いつきだから子供でも出来る。やる方は簡単で、受ける方が慣れてないと難しい。その点、ブラジルなどは誰でもやるので慣れっこでいい。だから少年選手は皆創意工夫や意外なプレーをどんどんやって欲しい。枚方FCのように子供の頃からお互いに合わせられるようになると面白くなってサッカーが変わる。

[日本の子供にも自主自発性、創造力がある!]
 40年前、子供たちに教え始めたとき、かれらをこれまでと違う個人技の優れた創造性豊かなサッカーを展開できる選手に育てたいと思って、既成の全てを白紙に戻し自分で練習法などを考案して進める事にした。
 試行錯誤して落ち着いたのは、先ず第一に子供たちを一日も早くサッカーは面白いと大好きにさせる事で、練習日には必ずドリブルと1対1、ミニゲームか紅白試合をした。
 紅白試合やミニゲームで子供たちは始めボールに集まり団子になって、注意しても全然きかない。だが数週から数カ月経つとゲームに慣れてきて、自分で密集は拙いとわかってくると自然に団子がほぐれて、ドリブルとシュートパスが見られるようになった。
 そのうちに意外なことが次々に起こった。今のように大人の試合を見る事も少なく先輩もいない。教えてないのにセンタリングするものが出てきて、やがてゴール前でつめるものが現れ、さらに反対側からもつめるようになり、横パスに突破を狙う縦パスが加わった。
 もっと驚いたのは、例えば右からの攻めが上手くいかないと見ると、変更して反対側へボールをさばく、といったゲームメイク的にプレーする少年が自然に出てきた事だ。守備もずっと全員攻撃だったのが、そのうちに一人守り二人守り次第に人数が増えていった。当然とはいえ期せずして全く知るはずのないシステム発展の歴史を辿っていたわけである。
 彼らの変化と成長は、子供の頃からサッカーをやってきた私の経験や見聞を遥かに越えるものであった。その間、練習は普通にしたが、試合やミニゲームでは散開するように注意してもきかないので諦めて叱責や命令強制もしなかった。数週から数カ月経ってやっと自然に団子がほぐれて散らばるようになったのでそれから簡単な注意をしただけだ。
 子供たちは蹴って走るのがサッカーだと思っているので、「蹴り合いしないでドリブルで抜け!周りを見て自分で考えろ!」とか、「皆攻めるだけでなく、危ない時は皆で守ろう!」、などと時折おだやかに言った程度で、ゲームが始まると黙って見ていた。
 それでも彼らは始めるとやっぱり夢中になってそんな事など殆ど忘れてしまう。だから、結局、彼らは教えたからではなくて、自由なゲームが面白くて熱中して、彼らなりに経験を積みそれぞれ自ら考え判断工夫して少しずつ上達し成長して、ゲームの仕方もサッカーらしくなっていったのである。その後も順調に伸びて毎年の新入生もほぼ同じ道を辿った。

[創造力を育てる教育]
 欧米では昔から教えなくても遊びのサッカーで上手くなって優秀な選手が育った。私も自由なゲーム本位で育ててみてそれが本当だとわかった。
 古来、教育は厳しいほどいいとされてきたが、厳しく教えると選手はその通りに行動するようになるけれども、自分で考案工夫する事をしなくなる。教えたとおりにしろと怒ると怒られないように気を付けて言われるままになりロボットや将棋の駒になってしまう。
 だから創造性育成にはそういう兵士作り的教え込みでなく、少年たちに殆ど自由にミニゲームをさせて先ず彼らがサッカーが面白くて大好きになるようにする。そして自然に自分で考え工夫してプレーするように仕向けて、自立自発創造の習慣化を図るのがよい。

[子供はあらゆる可能性を秘めている]
 アメリカでは子供はあらゆる可能性を持っていると見ていて、創造性を引き出す教育では、教師は何も教えないで子供たちを自由に遊ばせる。すると、子供がある事に興味を持った場合、記憶、発見、創造などの能力は、興味を持たない場合の10倍伸びるという。欧州南米の遊びのサッカーはその好例だろう。
 私の上記の経験でもそのとおりで、面白く取り組める機会さえ与えてやれば、日本の子供にも必要なものを自主自発自得できる能力や創造力が充分ある事がわかった。子供は無知無能で全て教えて命令どおりにさせないと駄目だ、という従来の教育は間違いで、彼らをもっと放牧的に自由にプレーさせて潜在能力を発揮させ伸ばしてやるべきなのである。
 ただし、子供は急におとなと同じ事はできない。時間、年月がかかる。自由にさせると始めは見るに耐えないけれども、そういうトンネルを必ず通り抜けて少しずつ良くなっていくから指導者は焦らないで見守ってやって欲しい。根気と辛抱が必要で、考えやプレーが稚拙でも急がせたりむやみに叱ったりしてはいけない、内容やプレーより彼らなりに自分が見て考え判断工夫するという事が大切で、その習慣がつけば必ず伸びていく。
 だがそれがなかなか出来ないようで、或るコーチは自由にさせたらどんどん悪くなるので我慢できず、前のように叱って教える通りにさせたら直った、と語り、私の気が長いのに呆れる、と言った。だが指導者は満足でも実力は選手が自分で努力しないとつかない。

☆大人が口をださなければ、子供はすぐに元気になる! アニメ映画 宮崎駿
posted by HFC at 18:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記