2010年05月20日

教えないから自分で工夫しろ!

 その昔、師は敢えて教えず、弟子は見様見真似、自ら工夫に明け暮れひたすら名人上手を夢見て切磋琢磨、或いは一途に修行三昧、道を極めて名を挙げるに至る世界があった。

[突き放す伝統]
 世の中、日進月歩で人は大なり小なり変化に影響され適応しつつ生活していくが、武芸や工芸、芸能のように技(わざ)を芸と呼ぶ世界にはそれをよそに、古来、教えないから自分で工夫しろ!と突き放す伝統が今なお地味に生き続けている。
 瞬間ごとに詩が現れる(ゴダール)!唯美リアリズム!と欧州ヌーベルバーグに絶賛された名映画監督溝口健二は俳優の演技になかなかOKを出さなかった。しかも、「やってみて下さい、反射して下さい」としか言わない。役者でないので教えられぬとにべもない。
 森鴎外原作の映画、山椒太夫の撮影で、何回やってもダメで疲れ果てた女優香川京子は、次を最後に死のうと決心して、何もかも一切無にして姉の安壽に成りきり演じ終わって倒れた。するとやっとOKが出た。余分なものがなくなり溝口の不満が消えたのだろう。
 彼は滅多に指導しなかったので、女優浦辺くめ子に、「ボヤッと歩くな!電車に乗っても歩いていても人の表情を盗め!拾って来い!」と言ったという伝説が残っている。

[すぐに教えては駄目!]
 俳優、高橋秀樹は芝居で上手くいかず、共演している歌舞伎の尾上松禄に教えを乞うたが知らん顔!どんどん日が経ち千秋楽近くにやっと教えてくれて上手くいった。もっと早く教えてくれたらいいのに、と恨むと、松禄は、「でもしっかり覚えられたでしょう!」と笑った。「すぐに教えるとすぐに忘れる。ひと苦労もふた苦労もさせてから教えないと身につかない」、という歌舞伎役者相伝の仕来りがあったのだ。

[苦労して身体で覚えろ!]
 プロの将棋界は有望な少年が師匠の家に内弟子で住み込み雑用を済ませてから勉強する。だが兄弟子に教わる程度で師匠が直接教える事は先ずない。弟子同士対局し研究し合って腕を磨く。そうしてプロの雰囲気が身に染みこんでいく。
 内藤八段は、「何も教えないという事が一つの教えになっている。本当の芸は言葉では伝えられない。身体で覚えるものだから、徹頭徹尾、自分でつかみ学び見つける、それだけが本物だ。プロは本物を見につけねばならぬ。高みに達した人はなかなか教えない。適切でない教えはマイナスになりがちな事をよく知っているからだ」、と語っている。
 そこには創造性育成に不可欠な要素がすべてある。現代は教育万能的信仰があって一から十まで教えないと非難されるが、彼らは、本物をつかみ実力をつけるには自分で苦労するしかない事を知っていて、その為にも教え過ぎるな!と言う。大いに同感である。

[アメリカ人の学生は事実を知ろうとして、そこから自分で考え読み取ろうとするが、日本人の学生は事実より答えだけ知って利用しようとするので間違った事を鵜呑みにする恐れがある。広中平祐]
 高名な数学者岡潔は普通の靴は脳に悪いからと年中ゴム長靴で通した奇人で、学生時代、数学を暗記してテストは易しい問題でなく難しい問題からとりかかった。大数学者に敬意を表して日本の学生の暗記流行は大目に見るとしても、考えないのは明らかによくない。米国人の学生はそんな事より人生を楽しく過ごしたいので好奇心や興味があると探求に乗り出す。成果もさる事ながらそういう意思が創造性につながる。
 スポーツでもそれに似た違いが見られる。「結果を出す」という流行語のように日本人は結果、勝敗が全てといえる。だが欧米人はプロセスを楽しむ。勝敗までのプロセスが試合だよ!途中の戦いや技術戦術の応酬、駆け引きが面白いじゃないか!と言う。
 それは教育をも左右する。創造力をつけるには、指導者が選手に自由に創意工夫させないといけないのだが、試行錯誤を伴うし、チームが負けると困るので、勝つ為に選手に枠外の自由を許さない指導者が多い。だから創造性豊かな日本選手は稀で欧米に及ばない。

[百聞百見は一験に如(し)かず!松下幸之助]
 失敗は創造性向上に役立つが、成功もむろん有用だから、スポーツでは経験から学ぶ事が大切だ。戦争ではもっと切実で、日本海海戦の名将、東郷元帥は、「戦いに勝つ方法は適切な時機をつかんで猛撃を加える事だ。その時機の判断力は経験で得られるもので、書物からは学べない」と語っている。
 少人数の部隊が不意に敵襲を受けた時、応戦しつつ隊長はどうするか判断を迫られる。だが、全滅しかねないピンチに陥ると、若い隊長は狼狽して適切に命令できなくなり、古参の部下が代わりに指揮して切り抜ける事があるそうだ。よく教育されていくら知識があっても実戦では裏付けになる経験がないと難しい。経験、創造力と精神力などがものを言う。
 日本海々戦の名参謀、天才秋山真之は、「作戦案出、実施方法までは頭脳が考えるが、これを水火の中で実施するのは頭脳ではない。性格だ。平素からそういう性格を作らねばならない」、と説いている。
 サッカーの場合、たぶん真っ先に闘志満々の性格が浮かぶと思う。だが冷たく見える青白い炎の方が実は真っ赤に見える炎より熱いという事もある。冷静と勇気、度胸だろうか。

[フットテニス!実戦的練習が全てだ!]
 1980年、全米テニス決勝はボルグとマッケンローが死闘4時間、マッケンローが優勝したが、痛快なハプニングがあった。
 ボルグが強打した瞬間、ラケットが折れて飛んでしまった。球は相手コートに入り返球が来たが打ち返せない。歯がみしたボルグは何と!インサイドで見事にボールを相手コートに蹴り込んだ。これにはアッと驚いたが、それを見たマッケンローは流石、問題児!わざわざラケットを置いて蹴り返しボールは満員の客席に飛びこんで場内はドッと湧いた。
 歴史に残る珍プレーだが、それ以外は滑りこんだり、倒れながら打ち返したり必死で秘術をつくした真剣勝負!そんな中でユーモラスなプレーが自然に生まれるのだから素晴らしい。とっさの即興性、遊び心というか、遊びから生まれた本場のスポーツなればこそで羨ましく思った。スポーツと呼ばれてはいるが生真面目な体育、学校教育的運動競技が実体の日本ではあり得ない、もしやった日には、ふざけるな!と非難轟々だろう。
 世界的名選手、ボルグは北欧生まれの独学で、「コーチや教科書に頼るな!自分の感覚にしがみついてそれを生かせ!私は9歳から壁を相手に自分自身をコーチとして教育神話に勝った。皆、形式練習をしたがるが、テニスはゲームだ。ゲームスタイルで戦う練習でないと上達はない。実戦的練習が全てだ!」、と語っている。まさしく真理である!

☆習う、なぞる、真似るだけでは、弟子は師匠の半芸! 中村翫右衛門
☆教わった事しかしないのでは師匠を越えられない。飛躍があるから進歩が生まれる。稚拙であっても自分で考えなあかん!梅棹忠夫
posted by HFC at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記